2018年5月7日

自由と従属

自分を保護してくれることと引き換えに、従属することを望む人たちが多くいる。 
保護されることと従属することに自分の存在価値を見い出し、それを感じる。従属することに不満を述べながらも、従属によって満足感を得る。 
その人たちには強い自分の意思はない。自らの意思ではなく、保護と従属を拠り所として立っている。

多くの人は保護と従属のない「自由」を望まないのだ。むしろ自由に不安を感じ、その苦痛から逃れるために率先して自らの意思をも捨てる。そうして不安を遠ざけ、孤独を癒やす。現実を見つめ考えることよりも、自分だけの幸せを望む。他者の苦しみを自分のことのように感じることなど、永遠に無いだろう。

多くの人たちは従属したがるが、ごく一部しか居ない「自由を訴える人」たちは多くの場合、誰しもが自由を望んでいると誤解している。 
だからその訴えは届かない。内心では自由になると困ると思っている人が多く居るからだ。

それでも、保護と従属が悪いことで、自由こそが素晴らしいわけではない。それら全てが必要なのだ。ただ、従属する余りに視野が狭まり、ほとんど何も見えなくなってはいけない。自分しか見えないばかりか、自分すらも見失ってしまう。それは本当に最悪で、恐ろしいことなのだから。

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