思惟の旅
その時々に思い巡らせたことを、その時に考えた範囲内で書き留めています。
2018年6月14日
水のように透き通る美しい音楽でさえも、生まれながらに感じられるものではないのだろうか。
あらゆる全ての感性は学ぶことによって得るのだろうか。
2018年5月16日
誰の世話にもならず、自分のことを全て自分でやり遂げる人は、立派で素晴らしい人ではない。
人々の世話になりながらでも、人々に尽くす人のほうがずっと素晴らしい人だ。
人々にとって、前者は存在しなくても良いが、後者は必要な存在なのだから。
2018年5月15日
物事の真実を知ることはできない。
だが、真実について考えることはできる。
2018年5月14日
いじめられる側にも原因(何らかの欠点)がある、という事は勿論あり得るだろう。
しかし考えて欲しい。果たして、欠点のない人など居るだろうか?
たぶん誰でも、数えきれないほど欠点がある。だから欠点が有ることは、いじめることの理由には決してならない。
2018年5月12日
仕事か趣味かを問わず何であれ、忙殺されてはならない。
忙しいならば、まず、その忙しさは避けられないものか考えるべきだ。
それが本当に必要なことならば、それを如何に効率よく行うか方法を考えて、改善してゆくべきだ。
誰もあなたの時間を作り出してなどくれないのだから。
2018年5月11日
企業活動は社会に包含されている。だから、ある企業の活動が、社会に利益よりも多く不利益をもたらすとき、その企業は社会を弱体化させる。それは結果的に、社会に包含されている企業そのものをも弱体化させることを意味しており、ゆえに、そのような企業は社会において存続不可能であることは自明だろう。
2018年5月10日
生きることは、死に向かう絶望的な旅路だ。
共に生きる人無くして、どうして人生を乗り切れるだろうか。
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